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チモシーグラス

Author:チモシーグラス
がんを経験してみて、改めて生きるすばらしさに目覚めました。

大好きな馬のこと、愛猫のこと、草花のこと、健気に生きるさまざまな命の輝きを、四季折々に綴ります。


なお、当ブログ『チモシーファーム』の画像と文章の無断転用を、固く禁じます。


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幻の年賀状

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(元気いっぱいだったシンボリクリヨン・・・2008年4月12日、千葉・佐原
乗馬倶楽部イグレット」にて)

28日。
残り少なくなったカレンダーを見て、そろそろ年賀状を作らないといけないことに気がついた。
毎年、その年撮った写真の中で一番のお気に入りを賀状にしてきた。
アルバムをパラパラとめくりながら、そうだ、来年はクリヨンにしようかな、とふと思う。
何度も倒れながら驚異的な回復を見せた、クリヨンの快気祝いの気持ちを込めて・・・。

いくつかのショットを見比べながら、ある一枚に目が留まった。
桜が満開の日に訪ねた佐原で、チーフのTさんに調教を受けていたクリヨン。
春風に気持ちよくたてがみをなびかせながら駆けていた。

そうだ、これにしよう。
来月に入ったらすぐにでも、ラボに頼みに行こう。

その夜、クリヨンの訃報が届いた。

あれはクリヨンが最後のお別れを告げにきたのだろうか・・・。
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最後のお別れ

sc081129-1.jpg
(覆いの下で、たくさんの弔花に囲まれて眠るシンボリクリヨン。
左側に置いた頭を手前に向けて、伸ばした脚元に花束が置かれている
・・・2008年11月29日、千葉・佐原「乗馬倶楽部イグレット」にて)

昨夜かかってきた一本の電話。
イグレット軽種馬フォスターペアレントの会北海道分室のKさんからだった。
クリヨンの死・・・信じられない思いだったが、それでも今日までなら
クリヨンと最後のお別れができるという。その言葉はしっかり聞いていた。

まんじりともせずに明けた朝。
ひどい夢をみていた。全身がだるく頭が重い。
病は気からというけれど、人間、気持ちひとつで体調までガタガタになって
しまうことを身をもって体験。

重い心身をひきずるように佐原へ。
まぶしいほどの青空が今日はうらめしい。
いつもの行きなれた道なのに、楽しく心弾む道なのに、今日は遠く、
車窓から見える風景は色を喪い、モノクロにしか見えない。

倶楽部にはすでにたくさんの方が弔問に訪れていた。
会代表のNさんは、気丈にも入れ替わり訪れる人たちを迎えている。
私も案内されて、クリヨンの眠る場所へ。
ポニー厩舎の前、黒い寒冷紗に覆われた下にクリヨンは眠っていた。
すでにたくさんの弔花が飾られ、悲しい華やぎとなっている。

Nさんがそっと覆いをはずして顔を見せてくれた途端、我慢していた悲しみが
あふれた。
本当に、本当に、クリヨンは死んでしまったんだ。
固く目をつぶった顔が紛れもない現実だった。

そっと顔をなでてみる。
頬、うなじ、額、鼻先、あご、みんな、会うたびになでていたところだ。
あんなに温かく柔らかかった顔が、今はこんなに固く冷たい。
命が消えた体を思い知る。

まず痛み止めの注射をして、睡眠剤を打って、クリヨンが深い眠りについたのを
確認して最後の処置をした、と聞いた。
全く苦しまずに眠ったまま逝ったと知って、悲しみの中でも安堵する思いだった。

クリヨンがフォスターホースになって5年。
まさか、こんな早くお別れの日がくるとは思ってもいなかった。
だれもが同じ思いだろう。
これがシンボリクリヨンの運命だった、と思うしかないが、やっぱり悲しい。

でも、クリヨンのそばにしばらくいる間に心の中でおしゃべりしていたら、
クリヨンが「ボクはみんなのおかげで幸せだったよ」と言っていた。
そうだよね。クリヨン。
最後まで人間を信頼して逝けたクリヨンは幸せな馬だった。
最後の最後まで手を尽くしてくださったNさん、Kさん、そしてスタッフの皆さん、
見守ったFPの会員さんたち。
みんなクリヨンが大好きだった。

これからは天国で後に残った仲間たちの幸せを見守ってね、クリヨン!
かっこよくて甘えんぼだった君のこと、いつまでも忘れないよ。

ありがとうクリヨン!

symboli_crillion080522-4.jpg

クリヨン!
君は本当に緑の風になってしまったんだね。
あまりに突然のことで今も信じられないけれど。

君に出会えて幸せでした。
私だけでなく、たくさんの人たちがきっとそう思っているはずです。

君もきっとこう答えるはず。
「フォスターホースになれて幸せだったよ」って。

りんごが大好きだったクリヨン、
甘えんぼだったクリヨン、
たくさんの楽しい想い出をありがとう!
シンボリクリヨン、君のことはずっと忘れません。

天国でも、たくさんやんちゃして、たくさん甘えて、たくさん駆けてください。

イグレット軽種馬フォスターペアレントの会のフォスターホース、
シンボリクリヨンが本日夜、天国に旅立ちました。
享年12歳。
突然の訃報に、ただただご冥福を祈るばかりです。

木曾檜(ひのき)

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(木曾檜のとっくりとおちょこ。敷物は八戸の裂き織り
・・・2008年11月25日、千葉・鎌ケ谷にて)


地元のおみやげ品を買うことも、旅の大きな楽しみ。

木曾の旅でもいろいろと楽しいおみやげを買って帰ったが、
木曾馬の里」で見つけた木曽檜(ひのき)のとっくりとおちょこ、それと箸が
思っていた以上に優れものだった。

木曾特産の檜でつくったとっくりとおちょこは、木肌が美しくしかも軽くて扱いやすい。
なにより、とっくりに入れたお酒をおちょこに注いだだけで、檜の薫りが
広がってとてもいい気分になる。
安いお酒でも、これで飲めば大吟醸!?

箸は割り箸の代わりにと軽い気持ちで買ったが、これまた重宝している。
そばやうどんの麺類はもちろん、なべをつつくのにもぴったり!
しかも割り箸と違って使い捨てにしないので、ちょっとしたエコにも。
箸をよく見ると、持つところが四角で箸先は丸くなっていて扱いやすい。

箸は売り場には2本セットと5本セットがあって、どちらにしようか迷った末
少ないのにしたが、多い方にすればよかったと後悔。
あ、また木曾馬に会いに行けばよいのだぁ!?

どちらも値段は忘れたが、高いものではなかったはず。
お箸を使いおちょこでお酒を飲むたびに、秋空の下に立つ雄大な御嶽山の姿と
紅葉した雑木林とそして木曾馬たちのつぶらな瞳が蘇ってくる。

木曾はもう雪だろうか。みんな、風邪ひかないでね。

『木曾馬とともに』

木曾の旅で買い求めた『木曾馬とともに』(伊藤正起著、開田村木曾馬保存会発行、
定価1,000円)を読み終えた。

著者の伊藤正起氏は木曾馬保存会会長であり、獣医師、元開田村長、元日本馬事協会
理事などを歴任され、長年にわたり馬と密接に関わってこられた。
その豊富な経験と知識を元に、木曾馬の由来から現在までの歴史、馬の特色や飼い方、
木曾の人たちとのかかわりなどが実に克明に著されている。

とりわけ、ご自身の体験に基づいた臨場感あふれる悲喜こもごものエピソードには
胸を打たれた。
特に戦時中、木曾馬がたどった悲しい運命には改めて戦争の酷さを知った。

‘木曾馬は多くの馬種の中で、いじらしい程温順で愛情豊かな恩義を忘れない馬である’
という愛にあふれた言葉で始まり、
‘1,000年余りを木曾の人々に奉仕し、ともに生きてきた木曾馬が幻の家畜と
なるようなことがあれば、悔いを千載に残すであろう’と結んだ伊藤氏の言葉が心に
深く染み入る。

それと共に、こうしてものいわぬ馬に代わって木曾馬のことを伝えてくださった伊藤氏に
感謝したい。
この本を読んでみて、「木曾馬の里」で会った馬たちの歴史と背景がよく分かり、
それだけに理解が深まり愛着も増した。
そして改めて貴重な木曾馬という馬種を絶滅させてはならない、と強く感じている。

馬の歩いた道

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(眼下に光る多摩川。その昔、往来する馬も見たのだろうか
・・・2008年11月21日、東京・青梅「むかしみち」にて)


青梅の紅葉を楽しもうと、昨日、奥多摩駅から奥多摩湖までの約10キロの道を歩いた。
昨秋、御岳の川合玉堂美術館を訪れたのがきっかけで、すっかり青梅ファンになり
今年の秋も楽しみにしていた。

以前立川駅で手に入れた青梅の観光リーフレットを見ると、青梅には色々な
ハイキングコースがあってどれもよさそうだが、今回は『紅葉の奥多摩むかしみち』を
歩いてみることにした。
決め手は、コース地図に載っていた‘馬の水飲み場’。
どんなところなんだろう、どんな意味があるのだろう、興味津々。

リーフレットによれば、奥多摩むかしみちは、奥多摩の氷川から小河内に達する
旧青梅街道で、さらに小菅から大菩薩峠を越えて甲府に到ることから
甲州裏街道とも呼ばれていたという。

地図でみる限りは多摩川に沿ってくねくねとした道を歩くような感じで、楽勝じゃん!と
気楽に歩き出したら、とんでもなかった。
起伏のある山道をどんどん上り下りしていくうちに川はどんどん遠ざかり、
ほとんどは檜や杉木立が延々と続き、谷底にかすかに水の流れが見え隠れするばかり。
朝9時に出発して、お昼をはさんだとはいえ終着の奥多摩湖にたどり着いたのは
午後3時に近かった。

ハイキングコースとあって道はよく手入れされていたが、それでも山道は緊張する。
山際には落石防止ネットが張り巡らされ、いたるところに「落石注意」の看板。
眼下を見下ろせば柵やロープの一寸先は谷底まで続く急斜面、目もくらみそうになる。
しばらく歩いた頃、落石防止のフェンスを小さくくり抜いた岩場に、くり抜いた大きさの
丸い石碑が建っていた。

馬の霊を慰める馬頭観音だった。
当時は今よりもっと狭い道だったようで、すれ違うのも容易ではなかっただろう。
そんな危険な山道で、たくさんの馬たちが脚を踏み外して谷へ落ちて亡くなったので、
その霊を悼み慰めかつ通行の安全を祈るために建てられたと、立て看板に記されていた。

いきなりショッキングな馬の歴史に触れて、胸が痛くなる。

さらに進むと、『馬の水飲み場』があった。
その名のとおり、馬たちに水を飲ませるための大きな石をくり抜いた水槽があり、
山からの清水が竹管を伝っていた。

その昔、この街道を往来した馬力がここで休憩し、荷を解かれた馬はかいばを
つけてもらい、この水槽で水を飲んだという。
馬たちが首を延ばして並びながら、おいしそうに水を飲む姿が目に浮かぶ。
馬方も、近くの茶店で一服。
三軒の茶店があって、お茶やおまんじゅう、お酒も出したそうだ。
手前にあった廃屋がその名残りなのだろうか。
今は人影もないが、当時の賑わいが目に浮かぶようだ。

重い荷を背負って、厳しく長い道のりを歩いてきた馬たちはここへたどり着いて
さぞほっとしたことだろう。
でも、ここへたどり着くことなく谷底に落ちた馬もいただろう。
逆にここでほっとしたのも束の間、命を落とした馬もいただろう。

そんなことを思いながら山道をたどると、いつしか当時の道を歩いているような
錯覚になって、馬たちの蹄の音やいななきが、山の中から聞こえてきそうな気がした。
山道を歩いた馬と聞くと、やはり木曾馬や同じような体型の馬だったのだろうか。
粗食に耐え、丈夫で温順な日本の馬たちは重要な働き手だった。
馬たちがいたからこそ栄えた人間の歴史、馬の犠牲の上に栄えた人間の歴史・・・
気軽なハイキングのはずだったのに、健気な日本の馬たちへの思いがとまらない。

秋晴れの青梅は、鮮やかな紅葉が青空に映え、満々と水を湛えた奥多摩湖が
きらきらと光っていた。
そして「むかしみち」は、昔の馬たちに想いを馳せ今の馬たちを見つめなおす道筋を
つけてくれた。

ヒシアケボノ

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(あんなに元気だったのに・・・2008年7月3日、茨城・東大付属牧場にて)

今日は早朝からの外出だったので、電車の中で、リュックに入れてきた
サンケイスポーツの競馬面を開いてびっくり。
思わず、エーッと声が出てしまった。

『ヒシアケボノ死す』
死因は病気のためという。
ひと月ほど前から療養中で、検査のため数日前からJRA競走馬総合研究所に
移送されたが、19日に亡くなったと書かれていた。

茨城県にある東大付属牧場に、ウイナーズサークルの後継種牡馬として
ウイナーズと共に繋養されていたアケボノ。
この夏、2頭を訪ねて元気な姿をしっかり見てきたばかりだった。
桜の大木がたくさんある敷地の様子に、来春の桜の時期に再訪しようと
楽しみにしていたのに・・・。

あまりに突然の訃報に言葉もない。
実習にやってきた学生さんたちにかわいがられ、大きな体で甘えていた
アケボノの姿が忘れられない。
享年16歳。早すぎる・・・「一期一会」の思いを噛み締めた。

心よりご冥福をお祈りいたします。どうぞ安らかにお眠りください。

木曾の名残り

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(開田高原「木曽馬の里」で見つけた木曾の藁馬。
絣に赤い帯をきゅっと締めた姿が温かい・・・2008年11月9日、千葉・鎌ケ谷にて)

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(大中小とサイズが色々あって迷ったが、中と小を求めた。
並べてみると、親子にも、夫婦にもみえてくる)

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(笑っているような顔のつくりが、なんとも愛らしく癒される)

昨夜、木曾から帰ってきた。
今朝はどんよりとして、今にも雪が降ってきてもおかしくないような寒空。
木曾もさぞ寒いことだろう。

てぬぐいに包み、リュックのポケットに大切に入れてきたふたつの藁馬を、
そっと机の上に飾ってみる。
笑っているような顔を見ていると、ほんわかと癒されてくるようだ。

現像に出そうとフィルムを袋から出したら、黄ばんだ松葉のようなものが
ケースにちらほらついている。
木曽馬たちの背に降り注いでいた唐松の紅葉だった。
とたんに、唐松の香りに包まれていた牧場が蘇ってくる。

夜は、木曽馬の里で買った檜のとっくりとおちょこに、木曾の銘酒『七笑』(ななわらい)を
注いで、「すんき漬け」を肴に木曾の旅を懐かしむ。
たった三日の旅だったけれど、思いきって行ってみてよかった。
活字やネットだけでは分からない、木曾の空気を体中で感じることができた。
木曽馬たちと触れ合えて、ますます愛おしさが募った。

雪の木曾もよさそうだ。

木曽馬紀行 その三

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(観光案内所の前に立つバス停。案内所の隣は郷土資料館。
第三春山号の剥製が静かに迎えてくれる・・・2008年11月8日、
長野・開田高原「木曾馬の里」にて)

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(福島関所から見下ろす木曽川。谷底にごうごうと流れる。
右奥には関所門)

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(木曾の名刹「興禅寺」。木曾馬と縁の深い木曾義仲公の
菩提所でもある)

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(`山里は我も我もと衣替え さぁ欲の衣を脱ぎ捨てよ’・・・境内に掲げられた御歌より)

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(木曾の名君、山村氏の代官屋敷跡。山村代官は代々、福島関所の関守と木曾代官を兼ね、
『木曾馬とともに』(伊藤正起著)によれば、木曾馬の改良と生産に貢献した)

木曾の旅も、いよいよ今日で終わり。
天気予報どおり、朝から雨模様のはっきりしない空が広がっている。

今日も木曾馬の里へ行くつもりでいたが、こんな天気では写真も撮れない。
今日こそ、すっぱりあきらめて木曽福島を巡ることにした。
が、昨日の借金を返さねば。
日に数えるほどしか通っていないバスなので途中下車は痛いが仕方ない。

郷土館の開館に合わせてバスに乗り、借りていたお金を返して、次のバスが来るまで
観光案内所で待たせてもらうことにした。
ドアを開けると、あれ、昨日の人と違う。
バスが来るまでいさせてほしいと頼むと、快く応じてくれ、その上コーヒーまで
ご馳走になってしまった。
昨日の人も感じよかったが、今日の人もしゃきしゃきしていて気持ちがいい。

木曾馬に会いに来たと言ったら、うれしそうに木曾馬に関わる色々と話をしてくれた。
中で次の旅につながるような思いがけないお話も聞けて、旅の醍醐味を少し感じた。
もし、昨日、郷土館でおつりがあったら、今日はここを素通りしていたので、この方と
出会うこともなかっただろう。

あ、これって木曾馬たちからのおみやげかな?!

木曽馬紀行 その二

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(木曾二日目の朝。雨上がりの山道は、瑞々しい空気に包まれていた)

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(御嶽山を隠していた雲も、どんどん去っていった)

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(厩舎前に建っていた尾崎喜八氏の句碑。馬への愛が伝わってきた)

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(朝ごはんも終えて、放牧を待つ)

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(千桜<ちお>はまだお食事中)

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(茜雫<せんな>も、もぐもぐ・・・)

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(シマウマではありません。念のため・・・)

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(人の子も馬の仔も、うなじってカワユイ)

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(放牧が始まった。イソイソ)

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(1歳馬たちもお外へ。雪姫は通り道にあるママたちの放牧地が気になる様子)

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(鈴花もやっぱりママが恋しいのかな?)

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(1歳馬たちの放牧地も林の中。まるで木の精みたいだね、鈴花ちゃん!)

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(鈴花たちの将来が明るいものでありますように・・・)

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(木曾の自然を生かした放牧地)

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(地面に降り積もった唐松の落葉)

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(起伏に富んだ木曾の自然が、木曽馬の脚を鍛えた)

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(長い歴史を人間と共に、人間のために生きてきた木曽馬を絶やしてはならない)

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(おいしい?)

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(幸泉の母馬福泉は、乗馬のお仕事中)

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(馴致中の当歳馬、千桜。一人前の木曽馬になるんだよ)


宿は、木曽馬の里からバスでひと停留所先にある民宿。
バス停の名は「馬橋」、馬に縁が深い土地柄を実感。
昨夜の夕食に馬刺しが出たのには、ギョエッだったが・・・。
「生肉はどうも駄目なので」と言って丁重にお断りした。

今朝は天気予報どおり、雨の音で目が覚めた。
週末にかけて雨模様とは覚悟してきたが、やはり落胆してしまう。
ま、晴れの日も雨の日もあるのは当たり前なんだから、気分を変えて
今日は木曽福島へ出て史跡見学でもしてみよう。

と、宿を出ると、あれ?雨がやんでいる。
黒雲がどんどん流れて青空もちらちら見え始めてきた。
そうなると現金なもので、木曽馬の里で下車。
るんるん気分で、牧場へ続く山道を歩く。
昨夜来の雨で山中が瑞々しく、すがすがしい大気に包まれながらの歩きは
すっごくいい気分。

御嶽山を隠していた雲もどんどん去っていき、今朝も神々しい姿を拝むことができた。
木曽馬親子の像にあいさつして、仔馬の鼻先をなでて、牧場へ。

厩舎の前に俳句を刻んだ小ぶりの石碑が立っていて木の看板に、
尾崎喜八先生句碑と記されている。
 仔の馬の まつげ愛らし かきつばた
昭和27年6月29日作 開田村 となっている。
当時の開田村には村中に木曽馬が飼われ、6月といえばあちこちで仔馬がはねて
かわいい姿を見せていたことだろう。
尾崎喜八という歌人は存知あげなかったが、馬への愛情がにじみ出て温かな句だと
感激した。
旅から戻ったら、どんな方なのか調べてみよう。

昨日はお昼過ぎの到着だったので、仔馬以外は放牧されていたが、
今朝は全頭まだ馬房の中にいて、朝ごはんの最中だった。
仔馬の千桜(ちお)と茜雫(せんな)の馬房にも朝日が差し込んで、
ぬいぐるみのような体が暖かい。
仔馬たちを見ていたら、さきほどの俳句がオーバーラップしてきた。
本当に仔馬は愛らしい。

やがて放牧が始まった。
白樺の放牧地組、唐松林の放牧組は自分たちでスタスタと移動し、
1歳馬2頭はそれぞれ手綱を曳かれて唐松林の奥へ降りていった。
途中、大人馬たちの放牧地を通ると2頭とも必ずそちらに首を向けて
ときおりいななきながら歩いていく。
どうやら母馬がいるようだ。まだ母さんが恋しいのだろうか。

唐松林の放牧組は次第に奥の方へ移動していくのだが、起伏があって、しかも
石ころや倒木がごろごろころがっている放牧地を上手に渡っていく。
木曾という土地柄が木曽馬の脚を鍛えてくれた。

午後から乗馬体験の曳き馬を申し込む。
ここでは午前と午後に乗馬タイムがあって、時間内なら予約なしで乗ることができる。
すでに鞍をつけてスタンバイしている馬に乗って、敷地の中をぐるりと回った。
馬の名前を聞くと「福泉」だという。
上野動物園に行った幸泉に会ってきた話をしたら、なんと福泉は母馬だという。
偶然とはいえ、なんだかうれしくなった。
今度上野へ行ったら、幸泉に母さんに乗せてもらった話をしなくちゃ。

初めて乗った木曽馬の背はどっしりとして幅があり、しかも地面から近いので
安定感があった。

厩舎に戻ると、仔馬の千桜が馴致を受けていた。
真新しい無口が初々しい。
慣れない馴致に緊張したのか、目がきつくなっていた。
一人前の木曽馬になるためにがんばれ、千桜。
木曽馬の未来は、きみたちの肩にかかっているんだよ。

午後から次第に曇ってしまい暗くなってきたので、牧場を早目に切り上げて
木曽馬の里の入り口にある開田高原観光案内所と開田村郷土館と白樺工芸を訪ねた。
三つの施設はバス停前に並んでいる。

旅に出る前に木曽馬のことを調べていたとき、『木曽馬とともに』という本があることを知り
地元なら手に入るかもしれないと思い案内所で聞いてみるつもりだ。
郷土館はもちろん木曽馬の歴史を知るため。
白樺工芸では、木曽馬の藁馬を売っていて、さらに予約すれば藁馬づくりもできるらしい。
時間があれば作ってみたいなと思ってもいたので、まずは行ってみよう。

案内所に入ると、受付カウンターで展示されているお目当ての本が目に飛び込んできた。
絶版かもしれないと覚悟してきたので、とてもうれしい
さらに、『開田の昔話』という小冊子をパラパラとめくると馬にまつわる話があちこちに
載っているので、これも一緒に買い求めた。
案内所の女性職員の応対も親切で気持ちよく、開田の好印象が膨らんだ。

次はお隣の郷土館へ。
ドアを開けた途端、先に藁馬を買ってからにしようとさらにお隣の白樺工芸のドアを開けて
入ると、なんと中は郷土館とつながっていた。

店内にぎっしりと並んだ郷土工芸品や手作り品の中でも、藁馬は一番目立つところに
並んでいた。
藁で編んだ体に稲穂の尻尾をぴんとつけ、絣を巻きつけ、赤いきれをきゅっとしめ、
赤い紐で束ねたたてがみと手綱がチャームポイント。実に愛らしい。
木曾の人たちの木曽馬への愛着がにじみ出ているような温かい民芸品だ。

どの藁馬もよくできていて、ぐらつくことなくきっちり四本の脚で立っている。
手馴れた人でなければとても、こんなにきちんと作ることはできないだろう。
予約しなくてよかった・・・私が作ったら、きっとグズグズのかわいそうな馬が
できてしまっただろう。

よく見ると大きいものから手のひらに乗るほどの小さなものまで、大きさもさまざま。
迷った末に、一番小さな馬と一回り大きな馬を選んだ。
並べてみると、親子か夫婦みたいに見える。

郷土館の受付で入場券と一緒に藁馬を買おうとして一万円札を出したら、
おつりがないので明日でいい、という。なんて、のどか。
お言葉に甘えることにした。

館内は予想したとおり、木曽の歴史に欠くことができなかった木曾馬に関わる資料が
たくさん展示されていた。
圧巻は、中央に置かれた大きなガラスケース。
木曾馬最後の純血種牡馬、第三春山号の剥製だった。
馬をこよなく愛した木下順二氏の著書『ぜんぶ馬の話』で、剥製になった第三春山号の
話は知っていたがここで出会えるとは。

実によくできた剥製で、同館のリーフレットによれば、剥製になったのは昭和51年とあるから、
すでに30年余の歳月が経っているのに、なんときれいなんだろう。
毛並みもよく、少し伏せ目がちの物静かな表情も生き生きとみえ、今にもピクッと
耳が動きそうだ。

第三春山号は当時24歳。
老齢と病気のため次第に弱っていたこともあり、木曾馬復元のための学術標本となるべく
安楽死の上剥製になったという。
剥製にするため村を離れる日には、村内外から集まった多くの人に見送られ、
涙で歌う馬子唄が今も語り草になっているという。

木曾馬の栄枯盛衰を静かに語りかけてくるような第三春山号の姿を見つめていたら、
次第に熱いものがこみあげてきて仕方なかった。

木曽馬紀行 その一

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(雄大な御岳山の麓に広がる木曽馬の里。真っ赤なブルーベリーの紅葉、
シンボルツリーのコナラの一本木、木曽馬の親子のブロンズ像。
木曽馬牧場は奥にみえる林の中・・・2008年11月6日、長野・木曾、開田高原にて)

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(抱きかかえられそうなほどの小さな像。愛らしい親子の姿に心が和む)

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(木曽馬は白樺林がよく似合う!?)

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(美しく色づいた唐松林に囲まれた放牧地で、木曽馬たちは静かなときを過ごしていた
・・・木曾馬乗馬センターにて)

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(ひときわ目立った金髪の馬)

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(まったり・・・)

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(唐松の落葉が馬の背にも降り注ぐ)

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(芦毛かと思っていたら、河原毛という珍しい毛色なのだという)

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(みつめ合うふたり)

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(まあるい体、影まで丸い)

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(唐松の紅葉も負けそうな金色の輝き)

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(かわいい実をつけた木。なんという名前かな?)

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(むむっ、何か変わったことでも?)

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(また明日も会いに来るよ~♪)

船橋から塩尻まで、特急あずさで4時間ちょっと。
塩尻から木曽福島まで急行で一駅、30分。
木曽福島からバスで約40分。
ずばり『木曽馬の里』というバス亭で降りると、いきなり森林浴の香り。
さすが木の国、木曾だ。

案内板に沿って山道を歩くこと10分、いきなり視界が開け真正面にはあの御嶽山。
うっすら雪をかぶっている。
目の前には、雄大な御嶽山に見守られるように、木曽馬の親子のブロンズ像が立ち、
その奥には紅葉したブルーベリー畑が真っ赤な絵の具を溶かしたように広がり、
左手に丸く枝を広げた一本の木(後で樹齢200年を越えるコナラと知った)。

目指す木曽馬乗馬センターはブルーベリー畑の奥に広がる林の中。
もうすぐ、木曽馬たちに会えると思うとドキドキがどんどん強くなる。
が、旅行バッグがちとじゃま。
思いきって、木曽馬の里入り口の、そば打ち体験もできるという食堂『一本木亭』に
頼んでみると、快く預かってくれた。感謝!あとで、そばを食べに来ま~す。

身軽になって足取りも軽くずんずん歩いていくと、やがて左側に牧柵が見えて
馬の姿もちらほら。
白樺林をバックに、木曽馬たちがのんびり草を食んでいた。
ずんぐり、むっくりの小ぶりで丸っこい体に人懐こい顔立ち。
サラブレッドとはまた違う馬らしさを備えた馬たちだ。
尻屋で会った寒立馬とも違う。みんな違っていていいよね。

丸太を斜めに重ねていく牧柵も初めて見る形で、木曾特有の作り方なのだろう。

ひとしきり馬たちをみた後、なおも奥へと歩いていくと、周囲に溶け込むように
落ち着いた佇まいの厩舎が現れた。
おお、ここに幸泉もいたんだ。
こんな静かで自然たっぷりなところから東京都心に呼ばれちゃって、
きっと驚いたことだろう。
でも、幸泉は木曽馬の代表として大きな使命があるんだ。がんばれ、幸泉!

牧場の方にごあいさつして、厩舎へ。
ほとんどの馬房は空だったが、手前の向かい合った馬房に
今年産まれた仔馬2頭がいた。
4月12日生まれの茜雫(せんな)と、5月1日生まれの千桜(ちお)。
体はけっこう大きくなっていたが、顔つきはやはりあどけない。
しょっちゅう、見学者が出入りしているせいか人懐こくてものおじしない。

この日もひっきりなしに観光バスや乗用車がやってきて、たくさんの人たちが
馬たちと遊んでいった。
馬を見るなり、どの人の顔も笑顔、笑顔。
農耕馬として、運搬馬として、さらには軍馬として、人間のために働いてきた木曽馬たち。
これからは、乗馬としてはもちろん、こうして存在そのものが人を癒すという
大きな仕事ができた。

厩舎の奥にも放牧地が広がっていて、たくさんの馬たちがいた。
唐松や檜の林に囲まれた自然の地形を生かした放牧地で、その昔
木曾の山中を闊歩していた木曽馬を彷彿とさせる。
黄金色に輝く唐松が美しく、風に乗ってはらはらと落ち葉がまるで黄金の雪のように
放牧地に降り注ぎ、馬たちの背にも降り注ぐ。

地面が黄色っぽく見えたのは、敷き詰められた唐松の落葉だった。
薫り高い木の香りに包まれて、一日を過ごす馬たちはなんて幸せなんだろう。
写真を撮ることも束の間忘れて、落ち葉がきらきらと光りながら舞い散るさまを眺めていた。

明日から

明日から、いよいよ木曾へ。
初めての土地は、いつものことながらワクワクする。

試験前の一夜漬けではないが、取り急ぎ木曽馬についての予習をすべく
木曽馬保存会のサイトで、木曽馬についてのあれこれを学ぶ。
長い歴史の中で、木曾の風土に育まれた木曾馬の成り立ちを知ると、ますます
会ってみたい思いが膨らむ。
どんな土地で、どんな風に吹かれて生きてきたのか・・・やはり現地で体感することが一番だ。

明日からどうやらお天気は下り坂のようだが、それも自然現象なのだから
受け入れるしかない。
雨の日も晴れの日も、馬たちは営々と生きてきた。

木曽馬幸泉の故郷へ

上野動物園で、3種3頭の在来馬たち、トカラ馬の琥太郎、木曽馬の幸泉、
野間馬のえりかに出会って以来、あの子たちの故郷を訪ねてみたいという思いが
ムクムクとわいてきて、膨らむばかり。

カレンダーを見れば、今年もあと2カ月を切っていて、のんきに旅などしている場合では
ないか、と半分あきらめかけたが、やはり、行きたい!
ということで色々調べてみたが、トカラへ行くにはちょっと準備不足。
野間馬のいる四国もちと遠い。
ということで、まずは幸泉の故郷、木曾へ行くことにした。

善は急げ!とばかり、朝一でJTBへ。
この紅葉の時期に座席が取れるかどうか不安だったが、すんなり希望通りの
列車もとれ、ほっ。

初めての木曾、どんなところか分からないから不安もいっぱいだけど、
念願の木曽馬に会えると思うとワクワクしてくる。
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